クソ語り概論 ―同い年への敬語について―
この記事は一応biol Advent Calender 25日目の記事です。なんとなく予感はしてたけど主催2つ目の記事書いてねえじゃねえか。
さてそんなわけで25日空いてるのに気づいて期末の勉強から逃避するために書いています。ちなみに知り合いに「テストがあってつらい」って言ったら「なんで年末なのにテストあるの」「年末くらいゆっくりしたいよねえ」というお言葉をもらいました。そらそうだ。俺らだってゆっくりしてえよ。
タイトルなんなんだよ
なんとなく最近ずっと頭の片隅に思っていたことをどっかで吐き出そうかなと思っていたのでこんなタイトルになりました。もしかすると一部の人にアレな受け取られ方をされてしまいそうだったので悩んでたんですけどまぁ出しちゃってもいいかなって。実際Twitterのクソみたいなつぶやきの長文版です。
本題
単刀直入に言うと、
同い年の人間に敬語を使ってる人を見るとモヤってしまう
って話。
割と無視できない頻度でいますよね、同い年にも敬語を使って接する人。尊敬語・謙譲語は会ったことないので正確には
同い年の人間に丁寧語を使ってる人を見るとモヤってしまう
ってことですね。
アレどうしてもモヤっとするんですよ。嫌いなんじゃなくて、モヤっとする。昔からちょいとモヤっと感があったんですけど、最近急激にモヤ感が増大したのでこうやって書いてる次第。
そもそも敬語とはなんぞや
ブリタニカ百科事典 小項目事典によりますと
話の主題になる人物や話し相手に対する敬意を示すために用いられる言語表現。日本語の敬語は一般に,尊敬語,謙譲語,丁寧語の3種に分類される。尊敬語と謙譲語は話の主題になっている人物に対する話者の敬意を示し,丁寧語は話し相手に対する話者の敬意を表わす。
ということらしいです。まぁ「敬語」の文字が示すとおり「他人を敬うための言語」なんですわ。丁寧語は話し相手に対する話者の敬意を表すので、僕が丁寧語を使う人間と喋っているということは「僕は今話し相手から敬意を向けられている」ってことですね。基本的に敬語は目上の人とか恩師とかそういう人を対象に使います。
どこからモヤ感が来ているのか
なんとなく2つの理由が浮かびました。
- 同い年のはずなのに自分が「目上の人」として扱われているように感じるから
- 敬語が「話者と対象者の距離を空けるもの」なので自分がその人から距離を取られているように感じるから
1つずつ考えていきます。
まず「同い年のはずなのに自分が『目上の人』として扱われているように感じるから」という理由。まぁそのままですよね。大学だと浪人事情が絡んでくるので同じ学年というのが正確なんですが、その「本来特に差異のない同じ立場」であるはずの人から敬語を使われてしまうと、「あなたは自分より上の立場にいるので敬意を持って接します」というように感じてしまうんですよ。自分はそう思ってないから、そこに考えのギャップを猛烈に感じてしまうと。自己肯定感がメチャクチャ高い人間だと「そうか俺のほうがこいつより上なのかガハハ」ってなるのかもしれない(そんな人間いるのか?)
次に「敬語が『話者と対象者の距離を空けるもの』なので自分がその人から距離を取られているように感じるから」という理由ですが、これは敬語の性質が「対象の人か自分の主体を高めたり低めたりすることで敬意を表す」からなのかなと考えています。って書いたら丁寧語は別に主体変えないやんって気づいてしまった。・・・まぁ敬意ってものが「対象者と自分の間に何らかの差異」があるがために生まれるだと思うんでOKとしましょう。同い年に距離取られると「もしかして嫌われてる?」ってなるんですよねコレが。
敬語を使ってる側は深く考えていない
これは多分です。多分。敬語を使う人をよく観察すると、本当に親しい人間(同性の友人など)には敬語を使っていないということはまあまああります。つまり「親しい人間とそこまででもない人間をカテゴライズして使い分けてる」んだと思うんですよね。でもたぶんそこにちゃんとした理由は存在してなくて、「なんとなく使っている」んだと思うんです。多分。(予防線をしっかり引いておくチキンの鑑)
結局何が言いたいんだよ
頼むから俺にはタメで話しかけてくれ。
1時間くらい使ってクソ文を垂れ流したお陰でテスト勉強の進捗はなにもないです。がんばりましょう。